こんにちは、もしくは、こんばんは。
ハッピーライフ研究家のさんちゃんです。
ほんのりご無沙汰しております(笑)。
最近のさんちゃん、何をしているかと言いますと…
楽しいコトだけして生きております(笑)。
ハッピーライフを生きております♪
アウトプットするよりインプットがしたい時期なのかしら?そんな風に考えたり。
まぁ、そんなこんなで、相も変わらず「今、この瞬間、さんちゃんがしたいコトは何か」だけを追い求め、ハッピーライフを研究しております。
そんな中、先日とある女性達とこんな話題になりました。
「あなたは落ち込んでいる人が目の前にいたら、どうしますか?」という心理テストのような話題です。
ある人は「『よしよし、辛いんだね。頑張って来たんだね』と思い切り慰める」と仰いました。
また、別のある人は「叱咤激励する(アメとムチを駆使する)」と仰いました。
心理テストの結果は、前者は優しく接するというコトで〇〇タイプと。
ズバっと言っちゃう後者は△△タイプだ、というハナシになっていました。
「さんちゃんはどうする?」と訊かれたので、「私は『そうなんだ』って話を聞くかな」と答えた所、
「さんちゃんも優しい人、〇〇タイプなんだね」と言われました。
その言葉に些か疑問を抱いたさんちゃんは「優しいと思われるかどうかは相手次第だと思いますけどね」と返しました。
「よしよし、頑張って来たんだね」と慰めてくれる行為…おそらく、多くの人が「優しい」と認めるでしょう。
さんちゃんはそれを「分かり易い優しさ」と認識していまして。
ズバっと言っちゃう人を優しくないとは思っていないんです。
仮に、ズバっと言っている側が「やーいやーい、もっと落ち込め~!」というイジワル感情で、相手をより凹まそうと攻撃したとします。
だけど、言われた側が「こんなにもハッキリ言ってくれるなんて…なかなかいないよね。有り難いなぁ」と受け取ったら、攻撃さえも「優しい行為」になっちゃうんですよね。
ちなみに、ズバっと言っちゃう多くの人は「やーいやーい」と思っていないと思っています。
落ち込んでいる人に対して、立ち上がって欲しいという気持ちがあるからこそ、ズバっと言ってるんだと思っています。
その感情を「優しい」とさんちゃんは認識しています。
ただ、落ち込んでいる人が「辛い時にそんな風にズバズバ言わなくてもいいじゃん」と思ってしまったら、心理テスト結果のように△△タイプになってしまいます。
(〇〇タイプ、△△タイプが何だったのか覚えてないさんちゃんです。。タイプで分けるのが好きではないので、覚えようという意識が芽生えませんでした・笑)
優しさの定義は人それぞれだと思っています。
どんなに相手のコトを思って尽くしたとしても、「大きなお世話、小さな親切」にだってなりかねません。
だから、「これが優しさ」と決めてしまうのは好きじゃないさんちゃんです。
・・・なんて言っちゃうと、優しい感情を蔑ろにしていいのかと思われそうなので、誤解なきよう申し上げておくと、
自分が思う優しさは大切にして頂きたいと思っています。
自分が思う優しい行為をして頂きたいと思っています。
ただ、その「優しさ」は全ての人に当てはまらないコトを知っておいて頂きたいな、と。
なぜなら、自分が嫌な思いをしなくて済むからです。
「こんなに優しくしてあげたのに、何も返してくれないなんて!」と思うのは、自分の優しさと相手の優しさの定義が同じであるという前提があるからです。
「優しさの定義は人それぞれ、別のモノである」と知っていれば、さほど腹は立ちません。
もちろん、良い気分はしないでしょうから、そんな時は「価値観の違うこの人とどう付き合えばいいか」を考えればいーんです。
適度な距離でお付き合いをするのもヨシ、離れるもヨシです。
さんちゃんは他者を否定・非難しません。
好き嫌いはしっかりありますけど(笑)、「それはダメだ!」と思うコトは基本ないんです。
そんなさんちゃんを「優しい」と思われる人もいれば、「ちゃんとダメ出しして欲しい」と思われる人もいるでしょう。
どっちだっていーんです。
受け取り側の自由ですから。
もし、「ちゃんとダメ出ししてよ!」と言われたら…「そもそもダメの定義って何?」から語り始めますかね(笑)。
さんちゃんは「世の中に絶対的な善悪、正解・不正解はない」と思っているクチですので。
少し話が逸れましたが、さんちゃんが言いたいのはですね、
「優しい人かどうかを決めるのは発信する側ではなく、受け取る側である」
というコトであります。
それが腑に落ちていると、自分の優しさにも相手の優しさにも振り回されずに済みますよ♪
れっつ!死ぬまで毎日ハッピーライフ!