こんにちは、もしくは、こんばんは。
ハッピーライフ研究家/Be意識(びいしき)トレーナーのさんちゃんです。
詳しくはソチラのブログをご覧頂くとして…
かいつまんで話すと、
「常識的な人ほど、悩みやすい」
てコトが書いてあります。
「ちゃんと」している人、ですね。
「ちゃんとしなきゃ」という意識が強い人。
逆を言うと、「ちゃんとしなきゃ」精神が強くない人は
悩みにくい傾向にあります。
例えば。
喉から手が出るくらい、どーしても欲しいモノがあったとしましょう。
何としてでも手に入れたいモノです。
どうやって手に入れますか?
常識的な人は正攻法で入手しようとします。
お金を払う、実績を上げる、自分を磨く…などですね。
間違っても、他人を蹴落とす、騙す、恐喝する…といった入手法は存在しません。
もし、少しでもそういった要素を取り入れて入手してしまうと、
喉から手が出るくらい欲しがっていたモノを手にしても、
罪悪感に苛まれてしまい、喜びを感じられません。
むしろ、後悔する、自分を否定する、苦しむ…といった感情を手にするでしょう。
さて。
さんちゃんは「死ぬまで毎日ハッピーライフ」を推奨している訳ですので、
悩みのない人生を送りましょう!と常々言っているんですが…
この流れでいくと「常識的な人じゃなくなるといいよ!」と言ってるように聞こえるかもしれません。
それは半分正解で、半分は違います。
「常識は大切だけれども、常識に縛られ過ぎませんように」
みたいな感じです。
さんちゃんも元は超がつく常識人なので、
他人を蹴落としてまで何かを手に入れるコトに抵抗はあります。
ただ、別に他人を蹴落として手に入れたってイイとも思っています。
自分がそうしたいか、したくないか、だけのハナシですので。
さんちゃんの美意識が「他人を蹴落としてまで手に入れるのは美しくない!」と思っているので、やらないだけですね。
ですが、さんちゃんのそんな美意識に対し、
「その程度の『欲しい』気持ちなのね。本気で欲しかったら、入手法なんて構ってられないでしょ」
と言う人もいるでしょう。
以上のように、「他人を蹴落として手に入れる」という行為は、個人の価値観によるモノなんですよね。
ここに善悪論を持ち込むと話がややこしくなってしまうんです。
「他人を蹴落とす行為は悪い」と思う感情を否定する気はありませんが、
「悪い」という感情が強いとハッピーライフが過ごせません。
「悪い」という感情は、その対象物を排除しようとします。
つまり、対象物の存在を許せなくなるんです。
許せないモノが多いと、世の中のコトにイライラしっぱなしになるからです。
そうなると…ハッピーライフを過ごせていないのは「悪い」人ではなく、
「許せない!」という感情に包まれている人なんです。
「なんて理不尽な!」と思われるかもしれませんが、実際そーなんですよ。
じゃあ、どうすればいいのか。
善悪論で語らなければイイんです。
「悪い」と思う行為に対し、「私は好きじゃない」と思うようにしてみて下さい。
他人を蹴落とす行為を見て、「あの人は悪い人だ!許せない!」とギャーギャー騒いだ所で、
他人を蹴落とす行為を「悪」だと認識していない人からすれば、馬の耳に念仏なんです。
だったら、「他人を蹴落とす行為は私、好きじゃない。だから、嫌いなコトをする人の傍にはいない」を選択すればイイんです。
善悪論はどうしたって議論を生みます。
ですが、好き・嫌い論は議論の種にならないんです。
さんちゃんはカエルが苦手なんですが…
「カエルの存在は悪だ!」と言おうものなら、まぁ、白熱した議論が行われるでしょう(笑)。
ですが、「カエルは好きじゃない」と言えば、「あ、そう。あなたはそうなんだ」で終わるんです。
この思考は他人の善悪を聞く時にも有効です。
例えば、政治について。
熱く語る人いますよね?
誰が悪い、何が悪いと「悪」「悪」「悪」の連発です。
聞いてて気持ちのいいモノではないとさんちゃんは思います。
そんな時は、「ああ、この人、『悪い』って単語使ってるけど、ただ『嫌い』なだけなんだ」と思うようにしてみるんです。
「悪い」を「嫌い」に変換して聞いてみるんですね。
そうすると、たちまち相手が可愛く見えますよ?
だって、「アレ嫌い、コレ嫌い」と言って駄々をこねてる子供と変わらないんですから(笑)。
前にも申し上げましたが、世の中に絶対的な善悪は存在しません。
特に常識的な人は善悪で物事を判断する傾向にあるので、是非覚えておいて頂きたいな、と。
悩みやすい人とは常識的な人。
常識的な人とは善悪論が強い人。
自分が善悪論が強いかどうかを知りたい場合は、
●日ごろからイライラするコトが多いかどうか。
●「許せない!」と思う事柄が多いかどうか。
で判別してみて下さい。
れっつ!死ぬまで毎日ハッピーライフ!